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このページでは髙瀬の展示やイベント等によせられた髙瀬きぼりお本人による文章を掲載しています。
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一次元絵画、ある単位、その他の断片
2022年6月 高瀬きぼりお

一次元絵画という語を聞いたことありますか?ぼくは無かったです。自分で思いつきました。「絵を描いています」と自己紹介したときに、「平面ですか」と言われ答えにつまったことが気になって、平面について少し考えました。平面は厳密にはこの世界には実在しなくて、観念の中にだけ存在しうるものです。これは直線も同じ。ぴんと貼った布に描いた絵が平面と呼ばれる世界では、ぴんと貼った糸に描いた絵は、線と呼ばれるはずです。線上の絵を壁につけて展示するときにいくつかの問題が起きました。それらを解決する方法がいくつか思いついて、そのうちのいくつかをやってみて、そのうちのいくつかを展示しています。

平面問題については最近やっと理解しました。絵はかならずしも平べったいものに描かれるわけじゃなくて、器など湾曲した面にも描かれます。そういう前提があれば、「絵を描いています」、「平面ですか?」は成立します。その後は「焼き物です」とか「キャンバスに」というやりとりが続けられそうです。でもぼくの作品はキャンバスの平面性や支持体の構造を疑ってみたりして作っているので、はい/いいえ で回答するための質問の仕方には選択肢がないです。こういった前提となる知識のことを文脈とかコンテクストと言います。現代美術がハイコンテクストだという批判があるけれど、日本の文化も相当にハイコンテクストだと言えそうです。ただその文脈が違うだけで、多くの情報を要求するところが同じに見えます。

以前の言語学が言語を定義できていないということで、ソシュールは言語ってなんですかと分析、定義しようとした。ぼくがもしこの世界で平面ってなんですかと問うならば、それを分析するところから始めたい。ぼくにとっての平面はキャンバスだ。キャンバスってなんですか。麻を平織りした布です。平織りってなんですか。二本の糸を十字に重ねたら平織りですか。ちょっと足りない感じがします。まだ平面になっていません。縦糸を一本ふやしたらどうだろう。横糸をもう一本ふやしたならどうだろう。このあたりが平面の始まりのようです。こういったことはコンテクストを共有している人にとって、作品を見ればわかることのようです。しかしそうでない人の、作品の見方を制限してしまうようで心苦しいけれど、これを読んでもなお自由に作品を解釈できると、読む人を信用してここに書いてみました。

こういった疑問から始まった絵も作りますが、とにかく絵の具を塗ることが楽しいです。