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このページでは髙瀬の展示やイベント等によせられた髙瀬きぼりお本人による文章を掲載しています。
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世界の名画展 -抽象編-へのコメント
2022年10月

/// あいさつ ///

子供の頃から絵を描くことが好きで描いているけど、そういえば美術の歴史を知らないことに気がついて最近は模写して遊ぶときについでに調べるようにしています。そうするとなんとなく美術の歴史がわずかながら見えてきたので、今回発表する抽象の模写に関係しそうな部分をぼくなりにまとめて書いてみます。

/// ざっくりと西洋美術について ///
単体の作品や作家について書く前に、西洋美術が何をしてきたのかざっと書いてみる。
ぼくは東洋人であるにもかかわらず、美術といえば西洋美術だというところですでに何か捻れのようなものがあるけれど、この感覚は時代と地域に特有のものだと思う。戦後合衆国文化の影響を強く受けた世代を親に持つことが関係してると思う。それがアメリカ合衆国の市場拡大政策だったと知ってもなお、自分の美術の好みはあまり変わらない。
西洋美術の現存するなかでの最古の出発点を、氷河期の洞窟壁画だとする人たちと、氷期洞窟壁画は現代の美術に繋がってはいないとして、はじまりを古代エジプトとする人たちに大きく分かれる。この二つには大きな溝があるけどあまり議論になっていない。おそらく信仰心に関わる繊細な理由からだと思う。ぼくは氷河期の壁画が始まりでいい。

最初はおそらく地面についた足跡とか何かを引きずった跡などが「おもしろい」ということを発見したところから始まった。役にたったというよりは、おもしろかったのだと思う。貴重なエネルギー資源を増やす役にたつ発見は、道具や装置として発展したが、おもしろかったものはむしろ貴重なエネルギーを消費するものだった。でも人々はそれをやめなかった。なんでだろう。役立つ道具や装置を作る段階では資源を消費するけれど、それを作った後は効率よく資源を増やすことができて、消費した分より多く回収できた。おもしろいものも資源を消費するけれど、それより多く回収できるのかもしれない。その過程が見えにくいだけで。

こうして氷河期を何回か乗り越えながら、自分や誰かが「自然」に対して与えた痕跡をおもしろがることが続いていった。そして洞窟の外の世界を洞窟の壁に写す絵を描くようになった。それから氷がとけて我々は地上に広がり農耕し、資源を備蓄し、持つ者と持たない者に分かれ、社会を形成した。

プラトンはイデアという概念を使って芸術の価値を低く置いた。感覚できるこの世界、つまり自然は、完全性の象徴のようなイデアの写しであって、つまりイデアの似姿でしかない、という概念だ。イデアの写しであるこの世界の中で、ヒトがさらに「自然」を写すという2段階劣化したものが芸術ということだった。さらに、芸術家は魚釣りを描くが魚釣りの技術を持っていないとして価値を低く置いた。その後、思想家や芸術家たちがこのプラトンによる芸術批判を乗り越えようと、いろんなことを考えた。

ある思想家は、自然を写す技術は魚釣りの技術と同じく技術として価値のあるものだと考えた。

他の思想家は、自然の写しやその技術よりも、理想的な形つまり芸術家の頭の中にある考えそのものの方が価値があると考えた。

そうこうするうちにキリスト教が世界(ヨーロッパ)に広まりひとつの神がこの世界を作ったと信じた時代になった。そして自然には神が設定した目的がありその目的に適っている感じ(自然の合目的性)を以って、自然は神の現れであるとし、それは人工物にもあてはまる、ゆえに芸術は神の現れであるとし価値を取り戻した。

キリスト教に縛られた表現を乗り越えようとした人たちは古代ギリシアの思想を参照し融合した。つまり芸術は、「自然の目的」としての「完全性」を重視し、それは統一秩序やシンメトリーのような形で芸術に表れた。

ここまではすべて「理性」によるプラトン否定だったし、芸術の仕事は美しい自然の模倣だった。
ところが18世紀にカントという思想家が「理性」を疑った。しかも理性を使って理性を疑った。ここから芸術を使って芸術を疑う長い歴史が始まった。これはカント的自己批判と呼ばれるのだが、「批判」というと日常会話では〈否定〉とか〈言論による攻撃〉のような意味で使われるけど、ドイツ語でKritik、英語だとCritiqueの訳だと知れば批評とか反省のような、攻撃性の小さい意味でも理解できる。

「絵を使って絵を尋ねる」ために、ある画家たちは写すことをやめようとしたが、形からは逃れられなかった。自然を模倣せずに四角や五角を描いても描く対象があることに変わりはなかったということだ。
他の芸術家たちは何を描くでもなく道具を手に取り無意識下で動かすことによって、ヒトによる「制作物」を超えて「自然」そのものであろうとした。

それから、絵画以外のメディアにできることを絵画から排除しようという動きがおきた。彼らは「平面性」と「絵の具そのもの」を、絵画だけが持つ特徴だと気がつきそれ以外の要素が入らないよう注意深く排除していった。当時の作品を今みると、まだ奥行き感、今で言うレイヤー感、図と地の関係などが拭いきれていないものがあるけれど、当時それは絵画のモダニズム的行き止まりに見えて、絵画は死んだように見えた。そこから後ずさりするように表象性を取り戻した一派がポップアートだとすれば、芸術以外の方法を絵に持ち込み、新しい美を作ろうとすることや、まだ行き止まりじゃないとして自己批判という重箱の隅でいろいろやる派、などが次々と発生した。200年後どれかの影響は残っているだろか。

これら以降の美術がぼくにはよくわからない。イズムの消滅と共にぼくの理解を超えてしまっているのかもしれない。だけど最近知ったのだが、これらの欧米メインストリームとは別の、世界各地の現代美術に目を向けてみると、逞しくて面白い物がまだまだたくさんありそうだ。最近知り合ったメキシコ人や、京都の芸術家たちと接して感動しました。ぼくが知らないだけで、きっとたくさんおもしろい美術があって、しばらく終わらなさそうにみえる。

キボ・クライン
紙粘土、アクリル、ガッシュ
150 x 83 mm


/// つづく ///