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このページでは髙瀬の展示やイベント等によせられた髙瀬きぼりお本人による文章を掲載しています。
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2024年3月21日

「ぼくは絵を描いています」と自己紹介するとよく、どんな絵?とか、何を描いてるの?と訊かれます。その答えを度々言葉にしてきたのだけど、皆がぼくの過去の言説を辿るわけではないので、やはり今また言葉にしてみる。おそらく変化している部分もあると思うし、ぼくの考えの変遷の記録にもなるので、あまり気張らずに思いつくままに書き放ってみたい。
 もったいぶってないで一言で言え、と思われるかもしれないが、それをすると、ほぼ全員を置き去りにしてしまうので、ゆっくり考えながら書いてみる。たとえば今までで一番みんなを置き去りにしたぼくの短い文を引用してみる。2018年、ある個展の案内状に掲載した文です。

《木枠に布を貼って筆で絵の具を付けます。そのことを、絵を描いていると言えるかもしれないし、特に筆で絵の具を付ける事を、塗ると言うこともある。連続するものごと自体は認識できないけれど、分節をうまく並べると何か意味のようなものがあるように感じられるのかもしれない。なので、絵を描いてる時に何が起きているのかを知りたい、です。》

この文はハガキサイズの案内状という制限の中にぎゅうぎゅうに要約したもので、コマーシャル的には良くなかったと思うけど、ぼくの考えを短く鋭く言えていて気に入っている。今ならもっと柔らかく言えるけど、文字数に制限もあったし、当時のぼくの気分とも合ってる。この文をもうちょっと説明してみる。最初の文から順に。

最初の文:木枠に布を貼って筆で絵の具を付けます。

この文が当時のぼくが絵に関してやっていたことの全てです。つまり、キャンバスを作ってそれに絵の具を筆で付ける、という事です。当時発表した作品に限って、他のことは何もしていない。ちなみに〜を表現しています等の言い方が嫌いです。〜が表現されているのであれば、見ればわかるからです。

次の文:そのことを、絵を描いていると言えるかもしれないし、特に筆で絵の具を付ける事を、塗ると言うこともある。

これは当時、「描く」という動詞はいったい何か、ということを言葉にしようとして「塗る」と「(線を)引く」という2つの動詞に分解して考えていたことの一端が表れています。絵を描くってそもそも、どういうことだっけ、と少しだけ考えた結果です。

次の文:連続するものごと自体は認識できないけれど、分節をうまく並べると何か意味のようなものがあるように感じられるのかもしれない。

「連続するものごと自体」という名詞句について。 この世界は連続しているので、たとえば「きぼりお」という世界の一部分が明確に他と分かれてるのではなくて、きぼりお性が低い所から高いところまで滑らかにつながっていますよね、切られて捨てられたぼくのヒゲは、切られる前つまり顎と繋がっていた時と比べて、きぼりお性が低くなりましたよね、という立場を表しつつ、この世界の一部分を名詞句で表そうとしています。ポストモダン的ですね。今気がついたけど、表しているのに見ても(読んでも)わからないことがここにありました。「〜を表現しています」という言い方について好みを改める必要ができました。さて、この世界自体は認識できない、つまり記述もできないということです。それはもちろん、言葉や文も世界自体を代替できないということも含んでいます。それにもかかわらず、文をうまく書ければ世界自体の部分(たとえばきぼりおが絵を使って何をしようとしているのか)を指し示しているように見えるかもしれない、という淡い期待を込めて、自分が絵で何をしているのか、の答えを短く書くならば、、、

次の文:絵を描いてる時に何が起きているのかを知りたい、です。
という意味を込めて書いたのだけど、おそらくだれにも伝わってなかったとおもうし、ここまで読む人もいないと思う。読んでおもしろいと思った人と話してみたい。

短く言おうとすると上記のようになってあまり楽しい思いをできないので、やめようと思ったけど、他の短い答え方を今おもいついた。

Q どんな絵? 何を描いてるの?
A うまく言えないので実際に絵を見て、何を描いたのかを考えて欲しい。

これはありきたりでつまらない。こんな答えをする人の絵を見たいとぼくは思わない。
あ、次の作品のアイデア湧いてきた。
このへんで終わっときます。

2024年3月